気まぐれ日記 02年3月

02年2月の分はここ

3月2日(土)「ちゃっかりチラシで鑑賞・・・の風さん」
 相変わらずパソコンと格闘していて、意地になっている風さんである。今朝も寝たのが5時。最後にメールチェックしたら、いずみさんから『和算忠臣蔵』を読み終えたという報告があった。面白かったのひと言で作家は救われた。
 11時ころ起きて新聞を読んでいたら、折り込み広告のひとつに目が留まった。近くのH市商工会議所で、絵画類の無料展示・即売会があるというものだった。何人かの画家の中に、工藤静香というのがあり、よく見ると、歌手の工藤静香だった。実は、キムタクも好きだが、工藤静香はもっと好きだ。以前、何かのテレビ番組で、奇人ぶりを自ら語っていたような気がする。確か、家で植物栽培か料理に凝っていた話だった。タレントとは思えない普通人ぶりが、風さんには奇人に映った。
 チラシの絵は、版画であった。若い女性を描いたもので、非現実的な、どちらかというとアニメのキャラに近い風貌である。版画とは言っても、かなり緻密な絵で、色使いは風さんの好きなシャガールに似ている。描かれている女性に惹かれてしまうのは、それだけが理由ではないようだった。どの女性も美人で可愛いくせに、憂いに富んだ表情をしている。それは何故か。チラシはかなりきれいに印刷されていて、細部もよく判別できる。「パープルシャドウ」という作品を見てみると、気付くことがあった。斜めから光が当てられていて、顔の左半分が陰になっているのだが、そこに描かれた左目が、右目に比べて明らかに小さいのだった。「帽子」という作品に目を近付けてみれば、この正面を向いた女性の特徴的な大きくて際立った眉が、左右で明らかに太さが違っていた。美人を描くなら、左右対称に描こうとするのではないだろうか。それを意図的にバランスを崩している。「琥珀のバラ」という作品では、上体を斜めに傾けた女性が描かれている。長い首の上に端正な顔がのっている。それは普通だ。ところが、肩から下の描き方が妙だ。左右の肩の線が人間の骨格配置を考えたときに不自然な印象を与えるのだ。つまり、これも左右の肩にアンバランスがある。これらの、よく観察してみて初めて分かる不自然さは、最初の絵の印象の不自然さとはなっていない。そうではなくて、女性の内面を表現することに役立っているのだ。
 1990年以来、10年連続して二科展入選を果たしているという。
 キムタクとの結婚・出産と、むしろタレントとしては奔放な人生を歩んでいる感がある。そんな彼女の、また新たな魅力を発見できたことをうれしく思った。

3月3日(日)「オーシャンズ11、俺ならこうする・・・の風さん」
 名古屋まで行って、オーシャンズ11を観てきた。けっこう人気が高いみたいで、切符を購入するだけで行列。2時間後の切符を買ったのだが、遅く入場すると立ち見になると言うから、入り口まで行って指定席券(200円)を買っておいた。
 予備知識は全くなしで、ブラッド・ピットが出ているのなら面白いだろうという、それくらいの動機である。本を買うきっかけもこういったことが多いと思う。この作家なら当たり外れはない。そう呼ばれたいものだ。
 一番の売りは、カジノの金庫破りのトリックだろう。それは、面白かった。しかし、小説家の風さんとしては、それだけでは決して満足できない。もっと面白くなる要素があり、十分描かれていなかったからだ。
 もうひとつの売りは、オーシャン(ジョージ・クルーニー)が、いかにして冷酷非道のベネディクト(アンディ・ガルシア)から、別れた妻テス(ジュリア・ロバーツ)を取り戻すかにある。現金はトリックで奪うことはできるが、人の心はトリックで奪い返せるものではない。映画では、見事にハッピー・エンドで終わっているが、納得できる展開ではなかった。
 その重要な役割をラスティ(ブラッド・ピット)が演じるはずだったのだろう。しかし、役作り以前にシナリオがなっていなかった。先ず、オーシャンとテスがなぜ別れることになったのか。どうしてテスはベネディクトと恋に落ちたのか。そのへんをしっかり描ききれていない。オーシャンは何とかしてテスとよりを戻そうとしているのだが、それも十分ではない。ラスティがオーシャンの胸のうちを追求する場面があるが、突込みが弱い。
 オーシャンがテスを愛するあまり、自分が泥棒であることを隠していた、その心の弱さを、フラッシュ・バックでも何でもいいから、映像で見せねばならない。騙されていたと知ったテスが、オーシャンを見限るのだが、その同じ過ちを今はベネディクトに対しておかしている。自分を愛する男が、最も醜悪な部分を隠してしまい、それを見破ることができないテスを描かなければならない。オーシャンもベネディクトの本性をテスに見せるだけでなく、自分が世界中で一番今もテスを愛しているのだということを、行動で見せるべきだ。そのためには、単に超人的なトリックを駆使するのではなく、命をかけている姿を見せる。まかり間違えば、命を落としかねない場面を作るべきだ。ベネディクトの本性を見ると同時に、身の危険をもかえりみず自分への想いを訴えてきているオーシャンの姿に気付けば、テスが最後にオーシャンへの愛をよみがえらせるのも納得できよう。それらを効果的に脇役として表現してやるのが、ラスティの役割だったはずだ。ラスティはオーシャン、テスの両方にかかわって、時には励まし、時には怒りながらフィナーレへと導かせるべきである。
 最後に、もう一度念を押しておこう。現金はトリックで奪うことはできるが、人の心はトリックで奪い返せるものではない。

3月4日(月)「パソコンはあとひと息・・・の風さん」
 昨日は電車で名古屋へ出かけたので、霧島那智著『秘剣 宮本武蔵』(1)(双葉社)を持って行き、車内で読んだ。速読に心がけたので、帰宅後も少し時間を要したが、読了した。宮本武蔵は16人いた、という着想から始まっていて、なかなか面白いエンターティンメント小説である。来月、この著者の新刊本の解説を書く約束をしており、原稿が来る前に、同シリーズをあと8冊読んでおかないと、新作の理解ができないのだという。厄介なことだ。しかし、初めての解説なので、楽しみでもある。
 夕べは、ようやく新しいプリンターを立ち上げた。古いパソコンを一式全部片付けようとしているのだが、それを待っているといつまでもセットアップできないので、とりあえず先に立ち上げておくことにした。某社のF9000である。F900ではない。9000だ。プリンター選定に当たっては、3つの要件の優先順位をさまざまに変えて検討した。それらは、@スループット(高速) A写真並の高画質 BA3用紙に印刷できること である。結局、スループットはやや落としたが(A4白黒で6ppm)、他の2点は満足し、試し印刷してみると、新たに静粛性(約37dB)に優れていることが分かった。ホームページのカラー印刷もまあまあきれいにできた。
 1月は約1500件のアクセスがあったが、先月は1300件程度に低下した。・・・ので、今月はもう少し頑張らねばならない。読者に価値ある気まぐれ日記にしなければ・・・。
 最後に、4月から小学校のPTAの委員を務めることになった。次女が小6になるからである。役どころは、広報部長で、PTA新聞を年に3回発行することだ。会社ではエンジニアなので、なんとなく鳴海風がPTAの委員を務めるみたいでおかしい。

3月5日(火)「花粉症ひと休み・・・の風さん」
 
大学時代から花粉症に悩まされているので、もうかれこれ20年以上の付き合いだ。・・・でも、慣れるわけない。一昨日から今年最初のひどい花粉症に襲われている。いちおう1日もつはずの薬(もう1週間飲み続けている)を日曜日の夜に飲んで寝た。が、月曜の朝は不快指数70%ぐらいで目覚めた。日課のように花粉症対策の目薬もさす。なんとなく無駄な感じもする。それで、援軍を送り込む気で、別の抗アレルギー錠をひと粒飲んでから出社した。
 外はよく晴れているのだが、風が強い。こういう日は、伊勢湾を越えて花粉がこの知多半島に舞い落ちてくる、いや吹き込んでくる。体が反応しているのが分かる。無菌に近い生活をしているツケが、こういう形で現代人を襲っているのだ。わたしはかよわい文明人。
 次第に鼻がぐすぐすいって、くしゃみや鼻水がとまらなくなる。もうダメだ。これでは、まるで仕事にならない。目もうるうるしょぼしょぼになって、目薬をさすが、いっこうに効き目があらわれない。情けない顔をしているのが、自分でもよく分かる。昼食を多めに摂って(花粉症に対抗するためには空腹ではいけない)、最後の切り札である抗ヒスタミン剤のカプセルを導入した。
 約2時間後に効いてきた。
 その抗ヒスタミン剤のおかげで、夕べはいつもの錠剤ひと粒で今朝までもちこたえた。外はどんよりとしている。風はない。天気予報は午後から雨だ。雨が降れば、花粉を洗い流してくれる。ありがたい雨だ。
 昼休みに楠木誠一郎さんのホームページを開いたら、案の定、花粉症で苦しんでいる。小青龍湯も効きが悪いらしい。さらに、鈴木輝一郎さんのホームページを眺めたら、輝一郎さん自身は何とかおさまっているらしいが、中里融司さんも花粉症で苦しんでいると書いてあった(もっとも、巨乳アンタッチャブルの話題に思わず吹き出してしまったが)。他にもあちこち眺め歩いた。とにかく花粉症で苦しんでいる作家は多い。花粉症は作家の証明か。
 はたして、午後から雨が降り出した。ばんざーい!
 退社してから、ふたつの出版社に電話をした。一件は、来週の上京時に会う約束。いよいよピンチだ。
 途中の道路がくそったれ工事で大渋滞だったので、整形外科に寄って薬をもらうことができなかった。くそっ。
 夕食後、初めてF9000で写真印刷に挑戦。さんざん失敗した挙句、やっとまともに印刷できた。神田紅さんとのツーショットを2L判で印刷した。すごい。まるで写真屋で焼いてもらったみたいだ。ちなみにデジカメは、NIKONのCOOLPIX775(200万画素)である。調子に乗っていずみさんとのツーショットも印刷してみた。わっ。すごい迫力。大アップだ。思わず赤面し、机の引き出しに隠した。誰にも言うな!

3月6日(水)「芸能人2題・・・の風さん」
 今朝も雨模様で花粉症はおさまっている。・・・ところが、めまいがする。まっすぐ歩けない。老化現象だ。
 昼休みにヤフーで「工藤静香」を検索したら、ファンが作るページにヒットした。SHIZUKA WONDERLANDというページだ。その中に、彼女の作品を掲載しているページがあった。先日のチラシにはない作品が20余りも掲載されてあり、目が釘付けになった。ある、ある。私好みの作品ばかりだ。想像力をかきたててくれる、思い入れたっぷりの絵ぞろいだ。印象派的な構図のもの、ローランサン風の色使いのもの、ゴーギャンの絵に似た人物配置のもの・・・。エコール・ド・パリに共鳴する風さんはうっとりしてしまう。フロッピーにコピーして持ち帰った。
 今日こそ、整形外科へ行き、頚椎の薬をもらおうと、定時と同時に席を立った。昨日の工事渋滞大はまりに懲りて、遠回りの道を選んだ。ようやく前夜工事中だった道が見えるところまで来たら、なんと!工事はしていなかった。くそ。
 私は運転しながらNHK−FMを聴いている。毎週火曜日と水曜日、午後6時からは麻生詩織がDJをする番組があり、私は気に入っている。この本業歌手の麻生詩織という女性。実に面白い。声はきわめて魅力的なおとなの女性を感じさせる。語りはなめらかで、くだけている。擬音が多い(ため息とかね)。演技力も抜群で、セクシーなネタが得意。声優だって出来るだろう。おっと、肝心の歌はどうか。歌唱力はありそうだが、あまり曲に恵まれていないのではないか。
 彼女は青森県出身であることを、ひとつの売りにしている。今日は、彼女がある漫才を聞いて笑ってしまったという話をしていた。その漫才では青森県庁(?)でのスキャンダル、例のチリに妻がいて14億円も仕送りしていた事件を話題にしていたという。その漫才の中で、事件そのものの異常ぶりにも驚いたが、もうひとつ驚いたことは、「青森県にも14億円の金があったことだ」と言って笑わせていたそうだ。彼女も爆笑したらしい。ややもすると青森県人を馬鹿にした言い草ではある。でも、そんなこと、信じる阿呆はいまい。だから、笑える。以前、ツービート時代のたけしのギャグに似たのがあった。山形県(?)出身の相棒に対し、「お前の故郷では、今でも夕食の準備をするために槍持って山へ狩りに行っているだろう」なんてのがあった。まるで東北を、原始時代かアフリカやパプアニューギニアの奥地のようにみなしている。私も長年東北地方で暮らしていた人間だが、思わず笑ってしまった。
 同じように笑ってしまった彼女、麻生詩織のホームページを見ると、「青森が生んだ世紀の歌姫」と書いてあった。

3月9日(土)「イメージがわかない?・・・の風さん」
 寡作で遅筆、NPO作家の異名をとる鳴海風、と自ら茶化しているが、これが自分の背丈を規定してしまっている感がある。鈴木輝一郎さんは、そのホームページのタイトルを「小説家鈴木輝一郎は締め切り厳守」としている。何が何でも締め切りを守る彼の姿勢には頭が下がるし、確かにすべての行動がそこへ集中している。若桜木虔さんは速筆、速読を標榜している。1冊書き上げるのは2週間、読破するのは30分だという。先日お会いしたときも「わたし、基本的にヒマですから」と笑顔でおっしゃる。
 人は自分で作った自分のイメージを超えられない、とはよく言うことだ。2足のワラジをはく鳴海風を、すごいですね、と感心して下さる方がままあるが、本人はあっぷあっぷの状態だ。鈴木輝一郎さんも若桜木虔さんも鳴海風からは遠い空の星だ。
 だいぶ愚痴をならべたてている。これは、実は次作がはかどらないからだ。ここに縷々その理由を開陳しても、やはりそれは愚痴以外の何物でもないだろう。また、日々努力しているサマを書き連ねても、せんないことだ。そこで、気まぐれ日記は、執筆活動すれすれの身辺雑記となる。実は、書いていてむなしい。輝一郎さんも虔さんも、執筆の進度が明確に書かれているのに、私は書けないからだ。
 ひたすら本を読み続けている。目と頭をときどき休めながら、読んでいるときは速読に心がけている(若桜木虔さんの速読術の本をネットで注文している。もうすぐ入手できる)。他人の本は何を読んでも「すごいな」と感心することばかりである。それがすべて自分の次の作品に生かせる気がするのに、私は次作が書けない。全体の骨格もできているし、半ば書きかけているのに、だ。作品の完成したイメージを視界から見失っている。駄作のイメージならある。すぐれた作品のイメージが浮かばないのだ。
 今朝の新聞に、宮部みゆきさんの『模倣犯』が芸術選奨文部科学大臣賞を受賞したと出ていた。文学賞を総なめにしている彼女が、次にもらうのは吉川英治文学賞か。というより、常に質の高い作品を出し続けていることに、私は注目する。寡作だろうが、遅筆だろうが、ましてNPO作家だろうが、これは本質だ。作品の質を上げることは、絶対に目指さなければならないことだ。だから、私はイメージをとらえきれないのかもしれない。実力以上のものを目指しているから。
 愚痴はここまで。
 夕方、2週間ぶりでトレーニングに行ってきた。食事の量をコントロールしているつもりが、ややウェイト・オーバー。体脂肪率は21.1%。花粉症の薬を大量に導入しているせいか、血圧が恐ろしく低かった。

3月10日(日)「ウロコの落ちる目は能動視野がせまい・・・の風さん」
 昨日のトレーニング疲れと抗アレルギー錠のせいで、昨日は夕食後ソファで爆睡。目覚めたのが今朝の1時半だ。それから、実は昨日の気まぐれ日記を書いた。既に、日付は10日になっていたのだが、9日付けで書いた。ひどい内容である。が、本音だ。
 それから、今朝の6時までパソコンにもてあそばれていた。朝食後、猛烈に眠くなり(当然か)、8時から11時まで寝た。その間に、若桜木虔さんの『頭のよくなる速読術』(日本実業出版社1300円税別)が届いていた(最近bk1で購入するのだが、年間80冊も購入していることが過去の履歴で判明した。しかし、問題は購入した本をすべて読んではいないことだ)。すぐ読みたかったが、買い物があるので、親父のお下がりのコルサで出かけた。トレーニングで筋が伸びたのと、ほどよい休養がとれたのとで、体調がすこぶる良い。昨夜から今朝にかけての鬱々とした気分が嘘のようだった。空も快晴。花粉症も薬でおさまっている。
 帰宅して昼食を食べてから『頭のよくなる速読術』を読み始めた。私には切実な問題だからだ。
 とにかく速読術の本なので、ちんたら読んでいてはいけないし、書いてあるアドバイスは即実行してみた方がいいだろう・・・てんで、一所懸命に読んだ(でも、読み終えるのに2時間もかかってしまった)。具体的な訓練法にはなかなかついていけなかったが、頭では十分納得できる内容だった。これは、かつて学んだ西田文郎さんの『NO.1理論』と大脳生理学から解説している点が酷似している。
 私なりの理解から言えば、ここで教えてくれている速読術はこうだ。目が文字を追う速度と、頭に取り込んだ文字を理解する頭脳の速度は桁違いに違う。もちろん、頭脳の方がはるかに速い。頭脳の内部の化学反応が電気信号で表現されるなら、処理速度はほぼ光速ということになる。ところが、普通の人は、目で文字を追う速度でしか文章を読んで理解しない。しようとしない。目で文字をひろう速度を上げていけば(理論的には光速に近いところまで)、文章を理解する速度は比例して上がることになる。この脳に文字情報を高速で送り込むことが、速読術なのだ。そのためには、ひとつひとつの文字をひろいながら、理解しながら読まなければ、文章を理解することはできない、という錯覚を取り払うことから始めなければならない。次に、頭脳に文字情報を高速で送り込む方法だ。ほとんど文字情報を映像としてとらえる(ここいらから右脳の出番である)発想の転換がある。脳に送り込まれた雑多な文字情報でも、脳は恐るべきパターン認識やら整理・復元能力、しかも複数のことを同時並行で行える能力を発揮して、立派に理解していくのである。ここまでは、かなり自分の言葉で書いたので、本の表現とはだいぶ異なり、間違っているかもしれないが、本人は理解したつもりでいる。
 しかし、訓練で改善できるとは言え、本のページから多くの文字情報を効率よく高速で脳に送り込むためには、能動視野(一度に文字を識別できる範囲)が広く、ある程度右脳が働いてくれないといけない。能動視野は裸眼視力と関係があるらしく、私のような近視では、確かにこれが狭い。そして、いくら小説を書いているとは言え、中年の坂を超えた身に、右脳を活性化させるのは容易なことではない。こういった物理的な障害はいかんともしがたいが、分速500文字程度の遅読なので、これを1000文字の2倍ぐらいにはできるであろう(十代の若者で、1分間に40万文字も読めるようになった者もいるという)。この本を読んで、目からウロコが落ちる思いがしたが、その目は能動視野が狭いという物理的な障害があった。
 速読の延長で、受験勉強のコツみたいなことが書いてあった。とにかく問題を多く解いた者が合格する、という考え方である。30秒考えて解けない問題は、理解が十分でないのだから、そんな問題に拘泥していてはいけない。事前に問題と解法のパターンを習うよりも慣れるほど経験しておけ、というものだ。これも今にして思えば納得できる。私がそういう勉強法を友人から教えられたのは、実は大学院を受験するときだった。それまでは、覚えるよりも考えて理解する苦学をよしとしていた。だから、試験で良い点はなかなか取れなかった(科目によるが)。解法中心の勉強法に変えたとたん、1浪1留の劣等性だった私は、一発で大学院の試験に合格してしまった。
 だいぶ書き過ぎたな。
 ここで、話題を変えよう。
 実は、若桜木さんの近刊の解説を依頼されている。来月早々にも原稿が届くはずである。その前に読んでおかなければいけない本がどっさりある。これらを速読術で読まねばならない。それがまだできない。『秘剣 宮本武蔵』(2)(双葉社)を読み終えたところだ。第1巻で武蔵は16人いた、で始まった物語である。第2巻では、武蔵は、関が原の合戦で破れた宇喜田秀家の家来の忍びで、徳川家康方の大名や家康本人の命を奪うために、流浪の剣客に身をやつして諸国を歩くという経緯が書かれている。すべては、旧主秀家のためである。吉岡一門との対決も、本望を遂げる過程での出来事とされる。まさに武蔵外伝である。考証物として読んでも実に面白い。ただ、吉川英治の武蔵と比べて物足りないのは、おつうさんがまだ出てこないことだ。もっとも16人(第2巻では13人まで減っている)も武蔵がいたのでは、おつうさんも一人では足りなかろうが。ま、第3巻に期待したい。

3月11日(月)「電子メールが届いていない事件・・・の風さん」
 5mのUSBケーブルを購入したので、TAとの接続ができ、執筆用の机の上でインターネットが利用できるようになった。ここまで苦難の道のりを歩んできたのだが、その間に送った電子メールのいくつかが、相手に届いていないことが判明した。これは、一種のコンピュータプログラムのバグと呼んでもおかしくない。私は、電子メール送信時、送信完了後、ネット切断の設定にしている(つもり)。一方、ノートンのウィルスチェックは、送信メールに対しても行うように設定してあった。ところが、この送信メールに対するウィルスチェックが完全になされないうちにネットの切断がされると、どうやら電子メール送信を阻止するようになっているらしい。一瞬だが、画面に「ウィルスチェック終了前に回線が切断されましたので、電子メールは送信されませんでした」というメッセージが出て消えていた。なんせ能動視野の狭い(動体視力が弱いというべきか)私なので、しっかりと判読できていなかった。
 それで、昨夜、送信メールに対するノートンのウィルスチェックをやめてみた。これで事件が解決すれば、次は逆を試してみるつもりだ。つまり、ノートンはかけるが、送信後の切断という設定を解除することだ。
 今朝は定例の早朝ミーティングがあるので、早く家を出た。最近、道路に車が少ない印象をもっていたのだが、今朝に限ってやけに多い。不景気のために車が少ないと思っていた。だが、そうでもないようである。会社の駐車場も混んでいた。我が家の庭の梅はとっくに満開を過ぎて、街の桜はつぼみが膨らみだしている。気温が上がり、風も多少吹いていて、花粉の飛散が多い1日であったが、なんとかレベル1でもちこたえた(レベル2は抗アレルギー錠、レベル3は抗ヒスタミン剤である)。

3月12日(火)「花粉症レベル3・・・の風さん」
  目覚ましが鳴る前から鼻がぐずぐずして、花粉症はレベル3。朝食後、抗ヒスタミン剤を服用する。
  定時後に会社の部内でひと話する機会があり、先月上京時の人との出会いを語った。
  先ず15日(金)お昼に篠田香子さんとお会いした話。生活の半分近くを中国で過ごしている篠田さんに最新の中国事情を尋ねようと思っていたが、さすが国際ビジネス・ウーマンというかキャリア・ウーマンのインタビュー力とディベート力にねじ伏せられ、もっぱらこっちが回答してしゃべりまくったというお粗末。あの日いただいた篠田さんの『世界で探す私の仕事』(講談社1600円税別)は、読めば読むほど圧倒される。約1年間で世界5大陸13カ国15職体験物語である。すべて篠田さんの個人的ネットワークを通じて自らを売り込み職を得たものである。それだけなら、単に篠田さんの国際人としての有能さが目立つだけだが、中身が濃い。現地での人々との交流が、たとえ彼らがやや異常な人種であっても時代や地域性を際立たせているなら、体当たりで取材し書かれていることだ。
  その日の夜のことは話さず、翌日の午後の二人の話をした。神田紅さんと青木新門さんである。
  紅さんとはメル友にもなっているし、しばしばこの日記で触れているので、ここでは省略。
  青木新門さんについて、著書『納棺夫日記』や『雪道』を回覧しながら、少し詳しく紹介した。多くの死と接する経験を通じて仏教に帰依し親鸞に傾倒していった話。そして、死というものが、決して汚れや恐れ、悪といったものではなく、生のすぐ近くにあり、死は命のバトンタッチである、という青木さんの考えをつたない言葉ではあるが、精一杯伝えようとした(はたしてどこまで伝えられたかはイマイチ自信がない)。伝えきれていない部分は、私も小説家のはしくれなので、今後、作品を通じて表現していきたい。
  やや帰宅が遅くなった。メールチェック時に、「電子メールが届いていない事件」の調査結果を見てみると、かなりの確率でメールが発信されていないことが判明した。再確認をかねて再送メールなど手短に10通ほど出してみた。
 ようやく確定申告がまとまった。こまめにためた領収書類で何とか乗り切れそうである。
 もひとつ、ようやく河北新報に『和算忠臣蔵』の書評が掲載された。昨日の朝刊である。今夜、FAXが届いた。

3月13日(水)「続・花粉症レベル3・・・の風さん」
 今朝も昨日の再現であった。抗ヒスタミン剤を飲んで出勤した。
 会社に着くころにはすっかり薬が効き出して、頭がボーッとしていた。これでは仕事にならない・・・だからと言って遊んでいられないのが会社だ。今年の春闘では「ベアなし」という画期的な回答が、まるで談合したように出始めている。飽食の時代と言われて久しい。決して精神的に豊かとは言えないまでも、日本の給与水準は世界の水準から逸脱してしまっている。物欲を抑える努力をして、少ないお金でも楽しめる工夫をするようになれば、決して高い給料は必要にはならないはずだ。変な話。わたしは駅などでホームレスらしき人々を見ても、とても彼らが飢えていたり苦しみや悲しみに満ちているようには見えないのだ。気楽な人々のように見える。
 帰宅したら、河北新報が届いていた。本物の記事はカラーの写真入りだった。カバーの「若松」がきれいである。
 メールチェックしてみると、またまた「初めて見るメールです」という返信がいくつか来ていた。やはり届いていなかった。そろそろ薬が切れかけている。今夜は強い薬を飲んで寝るか。

3月14日(木)「先輩に脱帽・・・の風さん」
 午後、大学の後輩たちが大挙して会社見学に訪れたので、その案内と懇談のためある工場へ出張した。
 そろそろ就職戦線が本格化する。入社以来リクルート活動に協力している風さんは、少し忙しくなるシーズンだ。今年は、大学で配布するための顔写真入りOB名簿を作成した。笑顔の写真とくだけたコメント付きの名簿である。当然、私も陰の正体を暴露する。しかし、多面的な特徴をもった先輩は私だけではない。皆、それぞれ人生を充実したものにしている。今どき、会社オンリーの人間は、長く勤めることはできないのである。完成した名簿を見て、私は満足した。
 その中で、ひとつ新発見があり、とても驚いた。大先輩で社内で役員をしている人が、コメントの中で、家族のことを紹介していた。なんと、息子さんが歌舞伎役者をしているというのだ。私はさっそくインターネットで芸名を検索してみた。すると、見事にヒットした。坂東幸(ゆき)。立役。坂東玉三郎一門。平成10年1月大阪松竹座「阿古屋」の近習で初舞台、とある。経歴にも感心したが、もっと驚いたのは、顔写真である。すごい二枚目。人気役者になれる相である。・・・いずれにせよ、会社でそれなりの高い地位についている人が、息子さんに歌舞伎役者の道を歩ませているというのは驚きである。内心は、心配で心配で仕方ないのではなかろうか。それを超えて、許していることに感動した。縁があれば、応援したいと思った。
 母校の後輩たちとの懇談で、私は裏の顔を明かした。興味をもってくれた後輩も多かった。何らかの感慨を抱いてくれたら幸せである。

3月15日(金)「事業経営感覚の作家に脱帽・・・の風さん」
 7時過ぎに自宅を出、東京に着いたのは10時33分である。それから、昨年不義理をした出版社のある神田まで行き、編集長と長い打ち合わせをさせてもらった。私は正直に執筆が滞っている原因を語った。特に、自分が書こうと思っていた視点や場面が、資料調査の段階で、他人の作品として既に書かれている事実を事例としてあげた。編集長は、「そういうことは、誰でも同じようにぶつかります。たとえ似た形で作品になっていても、作家の個性によって、絶対に異なった作品になりますから、気楽に書いてください」と励ましてくれた。私が並べ立てた類似の作品については、編集長はとうに把握しており、妨げにならないように、あえて私には教えなかったのだという。
 私は、第1稿提出をゴールデンウィーク明け、と約束して別れた。
 続いて、勉強会の場へ移動した。
 今日は、100枚の時代小説を読んだ人がいた。かなり歴史資料がふんだんに出てくる作品で、忍耐強く聞きながら、さらに内容を理解できたのは、私を含めてごく少数と思われた。資料調査という点では、実によくされていて、その取り扱いも好感がもてるものである。ところが、小説として見た場合、肝心の創作がきわめて少ないのである。それが結局どういう結果になっているかというと、ドラマがなくなってしまったのである。資料そのものがドラマ性に富んでいれば、それでも面白い可能性があるが、たいてい、ドラマは資料と資料の狭間に埋没していて、小説家が発掘するのを待っているものだ。ここからは、自説である。もし、この作品を100枚で仕上げる気なら、70枚を捨てて、70枚の創作を挿入するべきだろう。せっかく調べた100枚をそのまま生かしたいなら、300枚の創作を足して、400枚の長編にすべきだろう。いずれにせよ、自身への戒めともなった、考えさせられた佳作であった。
 2次会へは行かずに、某所へ向かった。
 昨年私が新潟日報に書評を書いた『日輪の神女(ひのかむめ)』(郁朋社)の著者、篠崎紘一さんとお会いする約束をしていたからである。篠崎さんとは同じ新潟県出身ということで、書評を書くきっかけが生まれ、ネット上ではあるが、知遇を得ていた。先方から会いたい旨、何度かメールをいただき、私も、会社経営をされながら、古代小説という比較的新規な分野の小説を開拓している篠崎さんの秘密を探りたかった。
 初めて会った直後から、篠崎さんのパワーに圧倒された。篠崎さんは、20年前にコンピュータ・ソフト会社を作った。なんと、農業用ソフトに特化して、である。20年前といえば、まだワープロだってそれほど普及してはいなかったころである。コンピュータの普及だけでなく、さらにその浸透がやがては農業分野にまで及ぶであろうと直感しての、先行投機的な着手である。慧眼といわざるをえない。その着眼は見事に当たり、単なる草分けに終わるどころではない、この道の第一人者、シェアNO.1を勝ち得ている。
 その鋭い事業経営のセンスを小説にも存分に生かしておられた。ここで、すべてを明らかにすることは、企業秘密の暴露という点で問題があるので、ごくわずかにしておく。学生時代に純文学に傾倒されていた篠崎さんは、より多くの読者に著作を読んでもらうため、事業経営的な視点から戦略を練った。先ず、未開拓分野である、古代小説に的を絞った。篠崎さんいわく「無名作家が取り組むには、資料収集に金がかかり過ぎて二の足を踏む。有名作家が取り組むには時間がかかり過ぎて、これも無理」。まさにニッチ分野に目をつけたわけだ。続いて打った篠崎さんの戦術は、どれもこれも驚くべきもので、納得できるものだ。詳細は言えないが、大胆な先行投資をともなうものだ。
 篠崎さんの経営する会社近くで夕食をとった後、私の縄張りである銀座へ移動した。そこでも、篠崎さんの能弁はとどまるところを知らず、次々に湧き出る事業企画と計画案(そのほとんどが既に着手済み、つまり実践力のある方なのだ)にただただ圧倒され続けた。
 貴族は週末で混雑しており、女の子との交流はわずかしかできなかった。
 貴族を出たあと、友人とふたりで、深夜のケーキデザートを食べ、ホテルにチェックインしたのは午前1時半近かった。

3月16日(土)「紅さんと散歩デート・・・の風さん」
 10時過ぎに起床。疲労もあるが、相変わらず花粉症がひどい。レベル3を超えて、さまざまの薬を合わせて飲んでいる。時間がないので、午前中の国会図書館はパスだ。
 先月に続き、神田紅さんの講談を聴くため、浅草演芸ホールへ向かった。
 何年ぶりかの浅草である。春爛漫といった陽気で、外人を含む観光客が非常に多い。ただし、人の流れはゆったりしていて、都心の雑踏とは明らかに違う。観光客目当ての人力車を何台も見かけた。車夫は若い健康そうな兄ちゃんだ。商店も仲見世も小体で、騒々しい。観光地のけばけばしさと下町の風情が混ざり合って、独特の雰囲気がある。大きな景気の流れとは別に息づく大衆のエネルギーを感じる。つまり、ここは時間の経過が止まっている。景観は変わっても、江戸時代も同じ雰囲気だったのではないか。そんな気がする。
 春風亭柳太の落語のときに中に入った。続いて、若倉健の漫談である。先月で慣れたせいか、すんなりと笑えた。池袋演芸場のときと違い、客が実に多い。芸人も驚いたり喜んだりしている。
 いよいよ神田紅さんの登場だ。やはり、高座がぱっと華やぐ。「待ってました〜」といった掛け声が大向こうから上がる。いまや寄席にはなくてはならぬ人になっているのだ。
 今回も義士伝の中から、義士の中で粋人として知られた大高源吾をやってくれた。芭蕉の門人宝井其角との交流である。討ち入り当夜、吉良邸に接する土屋邸に滞在していた其角と大高源吾の句のやりとりが見せ場だ。不勉強の風さんは、知らないエピソードである(紅さんの講談はもちろん、寄席はけっこう勉強になる)。
 高座が終わってからロビーで落ち合った。
 私は、紅さんを誘って浅草寺の一角、五重塔近くへ散歩としゃれこんだ。実は、どうしても見せたい石碑があったのだ。算子塚である。
 拙著『円周率を計算した男』の中にある短編「算子塚」は、歴史文学賞受賞後の第1作で、思い出深い作品だ。出羽から出てきた田舎算士、会田安明が、名門関流の著名な算士藤田貞資(さだすけ)に真っ向から数学論争を挑んだ史実を背景に、男の純愛物語を展開した作品である。
 浅草寺に現存する算子塚は、会田安明の3回忌である文政2年(1819)に建てられたものだ。今から183年ほど前になる。表に「会田先生算子塚銘」と彫られている。ここを初めて私が訪れたのが、1992年3月15日だから、ちょうど10年前だ。その後、一度しか来ていない。
 浅草演芸ホールで紅さんとお会いでき、わずかながらも時間を共有できることなど、めったにあることではない。私はどうしても算子塚を紹介しておきたかった。
 紅さんはひどく興味を覚えてくれたようだった。案内した甲斐があった。
 今回は、紅さんのファンの方とも交流できた。時宗(じしゅう)さんと西南(せいなん)さんである。時宗さんはわざわざ豊橋から紅さんの講談を聴きに上京して来られた。講談に対する見識は相当なもののように見受けられた。西南さんは地元だが、わざわざ和服でやってくる姿勢からも想像できるように、かなりの趣味人のようで、こういう方こそ、生粋の江戸人いや伝統的な日本人であろうと敬服した。
 紅さんたちと別れてから、客席に戻った(本当は入場後の出入りは禁止なのだが、ルールを知らない強みで、ずんずん中へ入った)。三笑亭可楽の落語が終わるところで、続いて、ボンボンブラザーズのアクロバット。久しぶりに桂文治(伸治といった方が、私には馴染みが深い)の毒舌を聴いて唸った。中入りに売店で文治師匠の『噺家のかたち』を購入した。師匠のサインが入っていたので、うれしかった。昨年芸能生活80周年を迎えたという玉川スミさんの三味線漫談も懐かしかった。三笑亭夢丸、春風亭小柳枝、松旭斎八重子、三笑亭夢楽と、最後まで聴いて、浅草演芸ホールを後にした。

3月17日(日)「花粉症の中、武蔵を読み終える・・・の風さん」
 昨夜、レベル3に対応し、なんとか普通に目覚めたものの、朝、昼、晩と、レベル1、2、3の薬を服用せざるを得なかった。その間に、意識朦朧となりながら、霧島那智著『秘剣 宮本武蔵』(3)(4)を読了した。結局、関が原の戦い以降の諸大名の死や、宮本武蔵にかかわる有名な果し合いが、すべて豊臣家に恩を感じる宇喜田秀家の家臣だった宮本武蔵の、徳川家康とその徳川方の大名とその家来に対する戦いであったとする、壮大な物語であった。作品の中には、資料を引用する部分も多いし、さらに写真や地図などを適宜配置して、この大胆な仮説の真実味を盛り上げている。タイトルは変わるが、物語は、『真田幸村の鬼謀』全5巻へと続く。多少、速読ができるようになったので、読破は困難ではない。最大の敵は、花粉症であろう。

3月18日(月)「我が家の変則畳の和室の巻」
 うちの和室(6畳)にカーペットを敷こうとしたら、買ってきたカーペットの短辺が4センチ長かった。前もって寸法を測ったワイフが「どう考えても理解できない」と首を傾げるので、風さんが部屋の寸法を調べることにした。すると、とんでもない事実が明らかになった。うちの和室に敷かれた6枚の畳は、なんと3種類の寸法なのである。175.5センチ×86センチ、175センチ×85センチ、170センチ×88センチ。パズルのようである。しかし、これら3種類の畳、各2枚を敷き詰めると、351センチ×256センチの長方形が出来上がるのである。一見まともな6畳間に見える。
 私は建築ミスであろうと直感し、建築契約書に添付されている設計図面を引っ張り出した。残念ながら畳のサイズは書かれていない。部屋の大きさは壁や柱の中心から寸法が入っているので、351センチ×256センチではない。364センチ×273センチとなっている。そこで、私は壁や柱の厚みを測定し、実際の部屋がどうなっているのか計算してみた。すると、363センチ×275センチとなった。誤差は1〜2センチなので、これは契約書の設計図面通りに出来ていると考えざるを得ない。
 ということは、我が家の建築中、出来上がった部屋の床枠の中に、畳屋がちょうどすっぽりおさまる寸法にカットしながら6枚の畳を敷き詰めたに違いない。これは、はたして普通のことなのだろうか。分からない。
 うちでは一度畳の表替えをしている。地元の畳屋がしてくれたので、外した畳をきちんと元通りの場所に戻したのだろう。
 はるか昔、子供のころ、年末の大掃除に、畳をすべて外し、布団たたきのようなもので畳をたたいて埃を飛ばしていた。すべての部屋が和室だったころ、さまざまのサイズの畳で構成されていたとしたら、素人が元に戻すことはほとんど数学的に不可能だったのではないだろうか。・・・と、つい理系の頭が考え込んでしまった風さんである。
 誰か、真相を教えてくれ〜!

3月20日(水)「畳のパズルは畳屋さんのもの・・・の風さん」
 久々に女性からメールがきた。すわ、銀座の女?・・・と思いきや、風さんの篆刻印を作ってくれた人だった。

鳴海 風さま

変則畳の日記を読みました.実家が建築関係の仕事をしている関係で、よく聞く話なので知っている範囲でコメントします.

まず、大工さんがつくった部屋は必ずしも長方形(コーナーが90度)ではありません.どこかの辺が20〜30mm長かったり短かったり、角は90度でない四角形になっていることは希では有りません.
通常、畳を作る場合はその部屋の形状、寸法を実際に測ります.その形状と寸法に合せて、畳の中身(昔は藁で出来ていましたが最近は発泡スチロールのような素材も増えています)をカットします.
どこをカットするかは腕の見せ所で、畳の縁が真っ直ぐに見えるようにカットされています.
和室に敷く畳がホームセンターなどで売っていない理由はこのためです.
(既製品を買ってきても、まず間違いなく部屋にピッタリとは収まりません)
また、このために畳にはその部屋で敷く位置が決まっています.
(畳の裏には番号なり、西・東などの方角がかかれているはずです)
でたらめに敷いたら収まらないはずです.

よって、変則畳だからといって全く心配したことはないです.普通のことです.

では.


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 ははーん、そういうことだったのねん。そろそろ古だぬきと呼ばれてもいいほど人生経験が長くなってきた風さんだが、これは知らなかったなあ。いや、勉強になりました。篆刻さん、かさねがさね、ありがとう。

3月23日(土)「高麗人参パワー・・・の風さん」
 『日輪の神女』の篠崎さんから頂戴した高麗人参を飲みだして1週間である。効果は3ヵ月後とのことだった。でも、翌日から変化が現れた。花粉症が少し緩和されたのである。レベル1のままで推移している。これは少し驚きだ。さらに3日連続睡眠不足に耐えることができた。もしかすると、これからますます体調は改善されるかもしれない。
 1年に1度のY眼科医院へ行った。かつて患って手術したことが2度もあり、その経過を診てもらっているのだ。どちらも問題なく、これでまた1年間、安心して執筆できる。もっとも、人間ドックでひっかかった胃と肺の精密検査はまだ受けていないが。
 名古屋へ出たついでに、愛知県図書館へ足を伸ばした。前もってインターネットで調べてみると、最近、私が国会図書館で読んだりコピーをとったりしている文献が、ここにもあることが判明した。しかも、国会図書館と異なり、借りてくることもできる。お恥ずかしい話だが、愛知県図書館は初めてだったので、今日は、利用券を作ることと、館内の下見、そして試しに何冊か借りてくる計画だった。眼科が案外早く終わったので、昼前に図書館に着いた。早速利用券を作り、5階のレストランで昼食をとって、階段を降りながら、各階を下見した。広々しており、書見やちょっとした読書スペースがあちこちに設けてあった。『円周率を計算した男』が書架にあった(私の本はこれしかない・・・ということは、その唯一の本が借りられていない。むむ。誰かにリクエストしてもらおう)。
 私が読みたい本はすべて閉架なので、今日は、小型本を2冊出してもらって借りてきた。4月からひとり6冊22日間借りられるようになるそうだ。
 名古屋往復の電車で、霧島那智著『真田幸村の鬼謀』(1)を読んだ。これは面白い。大坂城落城のとき、豊臣秀頼は死なずに落ち延びるところから物語は始まる。秀頼を救い出して遠く薩摩まで落とすのは、真田幸村の家来だった、猿飛佐助、霧隠才蔵、由利鎌之助ら3人の忍者である。これは豊臣家の血筋を残すための真田幸村の100年計画の始まりであり、その後の歴史はすべて幸村の鬼謀によるものだという解釈になるはずだ(歴史シミュレーションと呼ぶらしい)。多分、のちの八代将軍吉宗は、秀頼の子とすり替えられるのであろう。前作の宮本武蔵で、霧島那智は、史実一つひとつに見事な解釈を与えながら、宮本武蔵外伝を構築した。きっと、今回もその点は抜かりないと思われる。加えて、今回の作品の良い点は、多くの家族や家来を失って生き延びた秀頼という人間の苦悩が描かれていることだ。また、浅井長政の血を引いて立派な体躯をしていながら、殿様生活の惰弱さで、からきし体力がないのに、猿飛佐助らに忍びとして鍛えられるという設定も面白い。また、新たに側室として迎えた気の強い女の登場など、今後の展開に期待がもてる。
 小学校のころ、忍者ものが流行っていた。漫画も映画もである。わたしも家で忍者漫画を書いていた。当時は、歴史背景など全く頓着せず、忍者対忍者の勝負にだけ夢中になったものだ。懐かしい。
 高麗人参パワーも、ボケにはまだ効果が出ず、名古屋往復の電車賃を間違えたり、ボーッとしていて降りるべき駅を乗り過ごしたりした。

3月24日(日)「鳴海風、星一徹になるの巻」
 実は、昨夜、DVDで「AI」(テディのキーホルダー付きをネットで買ってしまったのねん)を見てしまったため、就寝が遅くなった(今朝の4時)。それにしても12歳のハーレイはしっかりしているなあ。付属のDVDにインタビュー映像が出ていて、彼がいかに役作りを真剣に行い、いかに作品の狙いを理解していたかが、よく分かった。最初はロボットらしく不自然な動作をし、しまいには人間らしくドラマチックに演じたそうである。それに比べてうちの子供らは・・・親に似てボケている。
 2週間ぶりに体力トレーニングに出かけた。軽く流したが、体力低下が歴然。それでも、血圧はまあまあ。ただし、体脂肪率が21.5%とやや高かった。
 長女が公立高校に受かったので、お祝いの外食に家族で出かけた。
 たっぷり満腹になるまで食べさせた後、用意の誓約書を取り出した。日ごろから目に余る子供らのだらしない生活ぶりを徹底的に叩き直すため、私が工夫したものだ。その名も「**(子供の名)と父の約束」。3人の子供らに、人間として成長してもらうために、父から1年間の目標をガーンと与えている。その代わり、約束を守れたら、たっぷり「ごほうび」をやる。たとえば、長女には「きちんとした生活態度」を目標にし、茶道と華道を学ばせる。その代わり、本人が希望していたケータイを買い与える。しかし、今どきの女子高生のようにけばけばした化粧などをしようものなら、そのケータイは象に踏ませて破壊する(つもりで解約する)、といった内容だ。長男には「はきはきした言動」、できなければテレビゲーム禁止、次女には「食べ物の好き嫌いを減らすこと」、できなければ小遣い半減、を目標にさせた。渡されて、子供らはパニックとなったが、それぞれ、私と子供らが署名して、契約書は成立した。ああ、早くこうすればよかったなあ。
 帰りの車中でも、子供らのパニックは続いていた(ふん、ざまあ見ろ。注意しても直さないからじゃ)。

3月25日(月)「一夜あけた星一徹、花粉症に悩むの巻」
 夕べショックの長女は父との契約書を抱いて茶の間で爆睡していた。それを眺めてから寝た風さんは、就寝が2時になり、今朝は、早朝ミーティングのため、6時起床。これが一般的なサラリーマンの週明けか……。
 寝不足のせいか花粉症に対する抵抗力が低下していて、鼻がつまり、喉がいがらっぽい。やたら咳が出る。また、目にゴミが入ったようにゴロゴロ感がある。痒い。そういう中、夢中で仕事をする。ほとんど雑用処理に近い。会社にとって大きな利益を生む仕事ではない。どこかから飛び込んできた情報を、有益かどうか判断して部下に展開したり、ちょっとしたトラブルに対して、ボランティア感覚で関連部署と折衝したりするもの。住居地での円滑な暮らしを維持するための町内会の仕事みたいなもの。わたしはそれを生活感覚業務と呼んでいる。
 息つく間もない密度の濃い(?)時間を過ごして、帰宅したのが8時半……。
 既に1日は終わっているのだが、この1日の間に、先々の計画も着々と具体化しつつある。歯医者の予約みたいなチョイ計画から夏休みの家族旅行まで、である。私の旅行は、ほぼ東日本に集中していて、来月も、東京だけでなく、仙台まで足を伸ばすことになるだろう。その間に執筆も進めねばならず、ちと苦しい……と言っていてはいけない、充実している、と前向きに発言しなければ。
 さて、これから霧島那智の『真田幸村の鬼謀』の続きを読んでから寝よう。

3月26日(火)「ウィークデーも乱れた生活・・・の風さん」
 今朝、ベッドに入ったのが3時半である。睡眠ゼロでもやることは尽きないだろう。どうしてこう俺は忙しい?きっと雑用製造マシンなのだ。
 会社では、ひたすら雑用を処理した。なにしろ机の上からパソコンの中まで、未処理の案件がぎっしりである。片っ端から処理していくが、その処理をしているそばから新たな雑務が発生してくる。いたちごっことは、このことだ。昨今社内ではゼロエミといって、ゴミもいい加減には捨てられない。だから、ぽいぽいとゴミ箱へ放り込むこともできない。捨てる前に分別が必要だ。すると、分別が面倒で、それらをまた机の上に積んでおくわけだ。悪循環だ。循環型社会を目指していて、悪循環社会を作り出している。(それでも、今日は、何度もゴミ捨てに通った。おいらは偉いねえ)
 退社後、旅行代理店に寄り、来月の旅行の切符を購入した。神田紅さんの芸道25周年独演会を聴きに行くのだ。 夏には、念願の「家族で大曲の花火ツアー」というのを企画している。人口4万人の町に64万人も集まる、日本一の花火大会である。風さんは、その町に小3から中1まで暮らしていた。遠い少年時代の思い出がたくさん染みている所だ。しかし、家族5人で行くとなると、先ず、旅行費用だけで「ン十万円」もかかるぞ、きっと。でも、行きたい。家族に見せてやりたい。
 今夜は早く寝るぞ。

3月27日(水)「桜が散ってしまう〜・・・の風さん」
 夕べ寝たのは2時だった。
 このところ3、4日に1度くらい雨が降ってくれる。雨が降ると空中を舞っている花粉を洗い流してくれるから、しばらく過ごしやすくなる。うれしい。今朝も雨が降った。
 通勤途中に桜を見た。勤務先は昔の城下町で、その城跡が公園になっていて、春は花見の名所となる。その横を車で通るのである。もう七分咲きくらいだ。ちょうど、この時期に、私は当地へ就職してきた。かれこれ22年になる。気の遠くなるような年月だ。いろいろなことがあった。だから、この22年は良かったのだと思う。
 相変わらず生活感覚業務をこなしているうちに日が暮れた。
 最近、自分のノートパソコンがしょっちゅうフリーズする。ハードディスクに余裕はあるのだが、どうも常時稼動プログラムを詰め込みすぎたようだ。システムリソースが不足している。今日、昼休みに、使わないソフトを少しアンインストールした。何の効果もなかった。もっと削除するべきだろう。
 家族旅行のためのパックツアーがだんだん絞り込めてきた。やはり飛行機を利用するもので、2泊3日は必要だ。レンタカーも借りるので、「ン十万円」は避けられない。とにかく、早く予約しないといっぱいになってしまう。明日には仮予約してしまうつもりだ。
 帰宅時。城跡公園は提灯などでライトアップされ夜桜となっていた。夜店も出ているようだ。しかし、花見客はきわめて少ない。風が強く、冷え込んでいる。これから満開になるだろうが、風はおさまってほしい。すぐに散らせるのは可哀そうだ。
 横風に揺さぶられながら、夜の有料道路を時速100キロで突っ走って帰った。

3月28日(木)「やっぱりシロアリはゴキの親戚?・・・の風さん」
 久しぶりに仕事で燃えてしまった。これでは体がもたない。ちと危険。
 昼休みに社内にある旅行代理店に行き、パッケージツアーの予約をしようとした。すると、はたして8月24日の宿がとれないのである! やはり、大曲の花火は化け物だった。結局、24日の宿を除く、23と25日の飛行機、23日の宿、3日分のレンタカーは押さえることができた。あとは、24日の宿を単独でとることである。
 今日は、知人からふたつの資料が会社に送られてきた。
 ひとつは、活字印刷の活字作りに命をかけた本木昌造の関係、もうひとつは、昨年の気まぐれ日記で何度か登場したシロアリとゴキの話題である。
 昆虫の分類学では、アリとシロアリは遠い関係で、アリは膜翅目、シロアリはシロアリ目でゴキブリ目の隣に並んでいるとのこと。昨年のシロアリ駆除業者の説明通りであった。
 池の面に提灯の明かりが浮かぶ、城跡公園の夜桜見物ははやくもピークになりかけていた。明日はもっと多くの客が集まるだろう。
 帰宅したら、神田紅さんの「芸道25周年・・・」の案内が届いていた。よおし、来月、行くぞ〜!

3月29日(金)「雨の中、横浜の桜は散り始める・・・の風さん」
 また、雨である。
 今日は出張で横浜方面へ出かけた。行き先は某研究所。余裕があれば、出張は適当に済ませ、開催中のロボデックスへコース・アウトしたい(72種類の最新ロボットが展示されているらしい。見たい)ところだ。
 降りしきる雨の下で、研究所内の桜はアスファルトに花弁を敷き詰めていた。
 霧島那智著『真田幸村の鬼謀』(3)を読了。ここまで、この著者の歴史シミュレーションを読み進んで感じることは、私の作法との類似である。歴史資料をつぶさに読んで、その裏にある真相の解釈が、物語の展開の骨格になっていることだ。そして、その根拠となるデータ(歴史資料に記載されていること・・・必ずしも事実かどうか分からないし、どんな学説があろうとかまわない。だからこそ、利用できる)を示しながら、ストーリーを進めていく。仮説と創作を間に織り交ぜながら、だ。こういった手法は、一種の技術研究のプロセスと似ている。物理現象を観察し、その本質を見抜こうとする姿勢から、ある仮説を打ち立てる。その仮説が正しいかどうか、さまざまな手法(実験とかシミュレーションとか)を駆使して立証していく。技術論文は、十分確からしいと判断してから発表するものだが、小説なら、創作を交えて確からしさを補足できる。もちろん、仮説は面白く構築された完璧な世界になっていなければならない。
 こうしてみると、ほぼ2週間で1冊の本を完成させてしまう著者のスピードには驚嘆せざるを得ない。

3月30日(土)「何十年ぶりかの(?)サーカス・・・の風さん」
 子供が大きくなると、それぞれ好みが多彩になり多様化する。つまり、家族は分裂し始める。止むを得ないことだが、1年に数回は家族で行動するべきだろう。
 父親(つまり私ね)の命令で、今日は、名古屋球場で開催中のKサーカスを見に行った。何十年ぶりだろうか。もしかすると生まれて初めてかもしれない。確かに入場料を払って見たという記憶がないのだ。小学校に上がる前、住んでいる町によくサーカスがやってきた。闘犬とか相撲の地方巡業もだ。なにせチビだったので、サーカスなんか、平気で敷地内にもぐりこんだような気がする。あるいは、会場の外で、練習風景を見たのかもしれない。一番強烈に印象が残っているのは、オートバイショーだった。球形の檻の中をぐるぐる走り回るやつね(俺って昔から暴走族に憧れていたのかな?)。それが、今もあって、音こそ激しかったけど、迫力はイマイチだった。
 ショーのテンポは実に速くて、手際よかった。団員は少ないのだろうけど、1人で何役もこなしてバラエティを出している。空中ブランコなど高い所でのショーには、命綱や落下受けネットが完備されているし、一輪車による綱渡りなどでは、下で介添えが5人も見守っていた。一番迫力があったのは、猛獣ショーだった。檻の中で、ライオンから虎から豹まで一体となって芸をする。なぜ、あんなにおとなしい? 大小2頭の象の芸では、大象が突然排泄を始めた。しかし、さすが慣れている団員は、一輪車で駆けつけて大しょんべんを受け止める。続いて、尻尾が異常に跳ね上がっていて、チリトリで大グソを受け止めていた。小象はちゃんと芸をしているのにだらしないやつだ、と思っていたら、小僧までしょんべんを始めた。これには、一輪車が間に合わず、大量におがくずをまいて、それをチリトリで回収していた・・・と思ったら、小象のくせに、クソまでひりだした。とんだ象の排泄ショーだった。
 いくつかの観客を巻き込んだアトラクションがあった。昔と違って、日本人は一億総タレント時代なのだろう、見事にパフォーマンスして、溶け込んでいた。うーん。
 ・・・と、感慨にひたっていたら、数年前、家族で、名古屋体育館でボリショイサーカスを見たのを思い出した。おお。やっぱり風さん、ボケてるぜ。

3月31日(日)「決意・・・の風さん」
 とうとう3月も最終日となってしまった。
 時期が来れば、桜も開花し、いつまでも咲き誇ることなく、やがて、いさぎよく散ってしまう。
 どこまでいっても多忙に変わりはないが、あれこれ雑多なことに振り回されているわけにいかない。明日から、しばらくホームページ更新の負荷を抑えて、余力を執筆に回そうと思う。ゴールデンウィーク明けには第1稿を出さなければならないからだ。
 そんな決意をした今日は、朝から長女と買い物に出かけねばならなかった。高校入学祝に腕時計を買ってやるためだった。そういえば、自分も高校入学時に初めて腕時計を持った。近年リバイバルしているセイコー5(自動巻き)である。日付の表示が少しずれているが、今でも動く。骨董品みたいなものだ。ワイフも、同じく、高校入学時に腕時計を買ってもらったそうだ。昨今の女子高生は、ほとんど革バンドでなくメタルで、文字盤に色がついているのが流行りらしい。その手のものを購入した。のんきな長女は、はたしてどのような高校生活を送るのだろうか。
 昼食も一緒に食べてから帰宅し、トレーニングに出かけた。あいかわらず体が固まっていて、筋を伸ばすところから始めなければならなかった。十分ストレッチしてから、階段のぼりを模したステアマスターを10分、腹筋、背筋、ラットプルダウン、レッグプレス、カーフレイズとこなして、1時間弱で終わりにした。血圧は正常。うまくコントロールされている。体重はオーバー気味だったが、体脂肪率は19.8%とまあまあ。
 夜は家族で餃子作り。これは、オフクロの味で、ワイフに受け継いでもらった料理の一つである。皮の包み方は、なかなか私を超えられなかったが、ようやく同等になった。子供たちは、長女だけが比較的まともで、長男と次女は異様な形の餃子を作る。巾着もどきやクレープもどき、である。しかし、焼いてしまえば、味に変わりはほとんどない。
 就寝まで、『真田幸村の鬼謀』(5)を読み続けなければならない。なぜなら、霧島那智の次のシリーズの解説を依頼されているからだ。早ければ、来週にも原稿が届く。届いたら、読み通して、1週間ぐらいで解説を書くことになる。速筆の著者の作品の解説は、やはり速読して速筆で書き上げなければならないのだ。 

 気まぐれ日記 02年4月へつづく